「深夜急行の夜」第5話


第5話「小さな国と大きな列車②」(第4話はこちら

 

 

 既にぬるくなっていたコーヒーを飲み干す。

 

「――では、何処へ行きましょうか」

 フードコートで向かい側の席に座る深沢さんが問いかける。

 

「折角なので、流行りの映画でも観に行きます?」

「いやあ、映画ですか……今時の映画は、なかなか分からないので」

 

 丁度この頃は、国内で大ヒットしていた映画があった。

 僕自身はまだ見たことは無かったが、大学で友人からその映画の話を聞くことがあり、少しでも流行についていきたいという気持ちはあったのだろう。

 

「とりあえず、映画館へ行ってみますか。ここの上の階ですし」

「はい、そうしましょう」

 リュックサックを背負った僕は、立ち上がってトレイを所定の位置に戻した。

 

「……荷物持ちますよ」

 そう言って、深沢さんが席に置いていた紙袋を持った。

 袋の中には、彼女が着ていた白いワンピースが入っていた。

 

 

 

 

 その後、併設された映画館でアニメーション映画を一本観た。

 

 何を観るかについては、結果として彼女の案が採用された。

 どうやら「絵の雰囲気が好き」だと、言うらしい。

 

 主要な登場人物の中に、西宮という名字の子が居たので、勝手に親近感を抱いてしまった。

 僕自身もこの映画自体に熱中してしまっていたのだが、上映が終わった後の深沢さんがとても饒舌に感想を話し出したのが意外だった。

 少し感動もしている様子だった。

 

 映画の上映直後の時間は、午後の7時半頃だった。

「お腹がすいてきましたね」

 そう言って深沢さんが急かしてくるので、僕は彼女の希望も踏まえたうえで、次の行き先を提案した。

 

 昆陽池駅のロータリーから市営バスに20分ほど乗車した先にあるその場所は、僕にとってのお気に入りの場所の一つでもあった。

 猪名川の河川敷沿いを通って、伊丹スカイパークとの間を周回するランニングコース。

 もう一つのお気に入りコースである武庫川に匹敵する、ランニング環境の良さ。

 そして……

 

「――うわっ!」

 近くを通る飛行機の轟音に、驚く深沢さん。

「ここは近くに伊丹空港があるので、飛び交う飛行機を間近で捉えながら、ランニングをしたり遊んだり出来るんです」

「そ、それはすごいですね」

「でも、夜はなかなか怖くて行けないんですけど」

 苦笑した僕は、大きなモニターを指差した。

 

「これは、フライトスケジュールモニターって言って、伊丹空港で飛んでいる飛行機の離陸とか着陸とかの情報が見られるんです」

「ということは、さっきの飛行機は成田ですか」

「はい、恐らくは」

 

「明るい時間帯は、スカイテラスの上から噴水が見えたりするんです。折角なので、覗いてみますか?」

「良いですね、飛行機をもっと近くで眺めてみたいです」

 売店で軽めに夕食をとってから、僕たちは展望デッキの方へと向かった。

 

 展望デッキから見える景色は、余りにも絶景だった。

 夜の伊丹空港だけでなく、北摂方面の夜景やライトアップされた公園が、両眼の範囲内に収まっていた。

 

「写真撮りたくなったので、撮ります」

 僕はデッキの手すりに近づいて、その景色をスマートフォンのカメラで撮った。

 青と黒、そして光。

 言葉にならないほど、美しい景色だった。

 

「高崎くん、写真見せてください」

 彼女がそう言うので、僕は「どうぞ」と画面を見せた。

「良い景色ですね……すごく綺麗に撮れています」

「そうですか、とても嬉しいです。僕は写真を撮ることと、早く走ることしか取柄が無い人間なので」

 

 既にベンチに腰を下ろしていた彼女の隣に座ると、僕は話し始めた。

「ここのランニングコースは、大学生になって下宿生活を西宮でするようになってから知ったんです。神戸に住んでいる友人が教えてくれました。大学で部活自体に入ってないんですが、昔から箱根駅伝を観ることが好きで」

 

「箱根ですか、私もお正月に観ていたことがあります。一生懸命に走る人って、何故か普段よりも格好良く見えますし、無性に応援したくなるんです」

 

「分かります……本当は箱根に出るために、関東の大学に行きたかったんですが、なかなか声がかからなくて」

 

「それは可哀想ですね……」

 深沢さんが温かい目で僕を見つめていた。

 

「――それなら、今は何のために走っているんですか。大きな目標もないのに」

 

 実際に言われてみると、僕が答えにくい質問の一つでもあった。

 僕は苦し紛れに、有りそうな答えを並べて答えた。

「強いて言えば、走っている時が一番気持ちいいんです。風を感じられるんです。自然と会話しているような気になって、とても清々しいんです……」

 

「あっ、そうだ……!」

 すると、彼女が何か閃いたらしく声を上げていた。

「な、何でしょうか」

 

「福男になってみるのはどうでしょうか、あの西宮神社の福男選びで。たまたま私も不運に捕らわれたような人間なので、運を分けてほしいんです」

 

「福男選びって、毎年1月くらいに神社の中を沢山の人が走って、一番福とかを目指すやつですね」

 

「はい、そうです。すごくいいと思います」

「僕もそう思います。簡単ではないですけど、ちょっとやる気が上がってきました」

 

 毎年、福男選びは数千人規模のランナーが参加する。

 学生だけでなく、社会人も含めて年齢も幅広い。

 それだけに、取り組む甲斐のある目標であることは間違いない。

 

「ちょっとですか……それならプレゼントをつけてやる気を上げてみます。もしも、一番福になったら、私は一つだけ何でも言うことを聞いてあげますから」

 

「何でも?」

「はい、何でも聞きます」

 

「それなら、めっちゃやる気出してみます。頑張ってみます!」

 僕は思わず、喜んでしまっていた。

 

「……その代わりになんですが、私からも一つお願いさせてください。本当に小さいことなんですけど」

「えっ、それは因みにどんな願いでしょうか。さっき、『何でも聞きます』って言っていたので基本的に何でも聞きたいです」

 

 深沢さんが突然、僕の方に寄ってきた。

 視界のほぼ全てが、彼女の容姿で埋め尽くされる。

 思わず僕は、目を瞑った。

 

「やっぱり心は寒いままなんですね――お店で温かいカレーを食べても、服が冬物に変わっても……」

 僕に抱きついた彼女が耳元に呟く。

 

「えっ?」

 

「だから、私の心を高崎くんから離さないでほしいんです。高崎くんに温めてもらいたいんです。せめて、今日別れるまででいいので、私の手に触れていてほしいんです」

 

 僕は彼女の顔を持ち上げて、元の体勢に戻してから、深沢さんの手に触れた。

 まるで氷のように、冷たい手だった。

 

「分かりました……僕も一人で寂しかったんです。あれだけ美味しいご飯も作ってもらって。まだ少ないですけど、沢山の思い出を共有できて……」

 

『あと20分で、閉園時間となります。公園内に居られる方は……』

 その時、閉園が迫っている旨のアナウンスが園内に響く。

 

 腕時計を見ると、20時40分を指していた。

 もうこんな時間だったのか。

 

「あっ、もうそろそろ帰りますか」

「そうですね」

 

 僕たちは手を繋いだまま、荷造りを始める。

 でも、荷造りに支障が出るからなのか「ちょっと、今は手を離しますか」と、深沢さんは呟いた。

「確かに僕も、そう思います」

 くすくすと笑いながら、僕は答えた。

 

 

 

 

 階段を降りて、公園内を歩く。

 先ほどよりも、夜の闇は深くなっていくようだった。

 

「この道、さっきも通った気がするんですけど、道の上に星座みたいなものが映ってますよね」

「はい、地面が綺麗にライトアップされてますね。とても綺麗です」

 

 星空の小道。

 別名・スターライトパスとも言われるこの短い道には、幻想的な星空が描き出されていた。

 

「――まるで、『銀河鉄道』の天の川みたいですね」

 

「私も共感します。まさか現世で、こんな綺麗な星空を見られるなんて思いもしなかったので……そういえば、今はどのくらいまで読めましたか?」

 歩いていた足を止める、深沢さん。

 

「車掌さんが切符を拝見して、その後に誰かがやってくる、みたいな場面です。フードコートで読み進めていたんですが、ちょうどその時に深沢さんが来たのでびっくりしました」

 

「ジョバンニたちもこの景色を見ていたんでしょうか……」

「大きな列車が、夜空に浮かんで見えるような気がします」

 僕は、紙袋を持った手で空の方を指差した。

 

「きっと、高崎くんは『どこまでも行ける』と思います。今の君なら、そんな切符を手に入れることは出来るはずです」

 

「はい、僕もそうで有りたいです」

 

 二人で手を繋いで歩き始める、天の川。

 

 僕の目指す目的地は、まだまだ先だ。

 

 

第6話に続く