読切「祭のあと」(前編)


 舞台の上で一礼をする2人。

 七分咲きほどの拍手が響く中、彼らを隔てていたスタンドマイクが片付けられた。

 陽気なBGMと共に、観客が適度に入れ替わる。

 

「――お笑いサークルの皆さん、有難うございました。この後は、皆さんお待ちかね、現在大ヒット連載中の漫画『深夜急行の夜』の作者さんこと、真崎有悟さんのトークショー。我らが倭州大出身のご先輩のトークショーは15時からです、お見逃しなく!」

 

 司会者の声が遠くの方から聴こえてくる。

 汗だくになっている相方は、ペットボトルに入った水を飲んでいる。

 先に水を飲み終えていた僕が掌を出すと、相方がハイタッチで返した。

「カヤ、お疲れさま。これで僕たちの漫才も終わりか」

「うん、3年間お疲れさまやね」

「この後はどうする、僕は演劇部の公演に行ってくるけど」

 舞台袖から出口の方を指差す。この後の講演に向けて、少しずつ客が増えてきていた。

「私は『深夜急行』のサイン本が欲しいから、トークショーを観た後に物販行ってくる。17時半にいつもの『ぎおん』で待ち合わせようか。今日の反省会もしたいし」

 何とも言えないような達成感に包まれたからなのか、完全燃焼でもできたのか、相方の顔は爽快感で溢れているようだった。

「……分かった、また後でサイン本見せてな」

「勿論よ、それじゃあね」

 ひょいと手を上げて、相方の姿は遠ざかっていく。

 

 実際のところ、僕たちの漫才は不完全燃焼だった。

 漫才の題材は、最近何かと話題になっている「コンプラ」。授業参観を前にした新任の先生が先輩教諭に対してアドバイスを求める。算数や国語などの授業で扱う問題を見ては、コンプライアンスに反しているだの、ツッコミを入れていく話になっている。漫才の役割としてはボケが僕で、ツッコミがカヤだ。

 しかし、僕たちの漫才の直後には『深夜急行の夜』の作者のトークショーが行われるのだ。この漫画は少年漫画誌に連載されているが、どちらかといえば高い年齢層にも受けているらしい。もう少年世代とはいえない大学生のカヤは作品に熱中してしまい、聖地巡礼の写真を不定期で送りつけてくることもある。学生同士の内輪では受けていた「コンプラ」のネタも、客席の前列に陣取る彼らにはウケていたものの、後列がネタに入りづらそうな雰囲気だった。

 学園祭の数週間前、僕たちはM-1の1回戦で敗退していた。プロ・アマ関係なく出場できるこの大会は、アマチュアの我々にとっては初戦の1回戦を突破することすら難しいといわれている。インターハイの地区大会初戦を突破できる確率を半分の5割とすれば、此方は2~3割ほど。1回戦を突破した後輩が大会後に「0と1は全く違いますよね」と意味深な発言をしていたのが記憶に新しい。恋愛なんて考えたこともない。

 M-1の1回戦は2分、学園祭の漫才は6分前後という時間設定。そのため、完全に別のネタで臨んでいた。単にネタが面白くなかったからだろうが、漫才を見慣れている方が多く観覧していたこともあり、会場に笑いは殆ど起きなかった。それでも今日は、7割くらいのお客さんが笑ってくれていた。あと少しで、会場の皆がどっと沸いてくれる漫才が出来ていただろうに。あの敗退からよく巻き返したけど、正直何とも言えない気分だ。

 

 阪奈電鉄・大倭駅は大学の最寄駅で、副駅名として「倭州大学前」が命名されるなど、相当な連携ぶりだそうだ。その大倭駅の南側に位置する小さな喫茶店がある。店名は「ぎおん」で、その由来は僕も詳しくは知らない。僕は漫才のネタを執筆する際に使用しているくらいで、カヤも軽めの打ち合わせをする際に現れる。

 カランコロン、と古めかしい音が流れる。

「——ママ、『いつもの』ください」

「あいよ、学祭お疲れさま」

 店主の女性は馴染みの客からママと呼ばれていており、長く倭州大生に親しまれている。

「いえいえ、有難うございます」

 スマートフォンでプロ野球の途中経過を観て、数分ほど時間を浪費する。客が少ない時間帯の店内にはFMラジオの軽快な会話が鳴り響き、オープンキッチンからは香ばしい料理の匂いが漂ってくる。独特の居心地の良さがあり、僕にとっては快適な場所だ。

 

『8回裏、ファルコンズが連打でノーアウト1、3塁のチャンス』

 スコアは一点差のビハインドで、両先発が好投を続けていた。固唾を飲みながら、画面を見守る。手に汗握る攻防の中、まず1人目の打者が三振に終わる。

 思わず「ああ……」と溜め息を吐いた僕を、慰めるような視線で見つめるママ。理由もなく喉が渇いてくる。スマートフォンをテーブルの上に置いて、徐に席を立ちあがった。ティーサーバーのお茶のボタンを押して、紙コップに注いでいく。

 ちょうどお茶を注いでいた、その時だった。ドアの方から例のカランコロンが聴こえる。

 

「どうも、お待たせ!」

 普段通りの青いリュックサックを背負ったカヤは、ほぼ定刻に「ぎおん」に到着した。

「おっ、来たね。カヤの分もお茶入れとくよ、ぬるめでいい?」

 カヤは「うん」と頷くと、僕の荷物が置かれたテーブルに向かって歩いていく。僕は2人分の紙コップをバランス良く運びながら、席へと戻る。

「こちら、ぬるめのお茶となります」

「知っとるわ……ありがとな」

 まだ漫才モードが抜けていないのか、カヤは鋭いツッコミを飛ばしてきた。

 ママは「うふふ」と笑いながら、カヤに確認した。

「まるで漫才みたいね、ところでカヤちゃんは注文何にする?」

「それじゃあ、ふわふわフレンチトーストとじわっとコーヒーのセットで」

 メニュー表を指差しながら、カヤはママに注文を伝える。

「それ、僕と全く同じじゃないか」

「いいじゃん、たまに同じもん食べさせてよ。ていうか、この『擬音祭り』みたいなメニュー名、常連の人でも言うの恥ずかしいですよね」

「おいコラ、何言ってんの」

 ママが小さく笑みを浮かべては、ひそひそと話し始める。

「君たちに教えてあげよっか、その由来」

 僕たちは「良いんですか……」と双子のように声を揃えて驚く。メニュー名もそうだけど、店名の由来も自然に聞ける。数年の謎がついに解き明かされるはずだ!

 料理の手を止めないまま、ママは話を続けた。

「此処って、昔からずっと倭州大の近くにあるでしょ。だから、部活生も含めて皆食べ盛りで。ある時に、学生たちが大盛メニューが欲しいって提案してきてさ、それで大きなサイズのメニューも提供するようになってね。せっかくだから、当時の学生たちにメニュー名もつけてもらおう、という流れになって……」

「こういう、オノマトペばかりのメニュー表が完成したんですか」

 タイミング良く、カヤが「いや、命名のセンス!」と唸っていた。

 

「はいはい、会話遮ってごめんね、漫才ガールズ。とりあえず先に置いとくね、アオちゃん。いつものふわふわフレンチトーストと、じわっとコーヒーね」

「どうも……」

 僕の目の前にはフレンチトーストとコーヒー、それにスティックシュガーが1本置かれていた。料理を見るために視線を落とすと、先ほどのプロ野球の中継画面が更新されていた。

 

『8回裏、ファルコンズはノーアウト1、3塁のチャンスも、三振・ファールフライ・ゴロで同点の機会を逃す』

 

「やっぱり美味しそうだなあ、ふわふわなんとかと、じわじわカフェオレ?」

「それは良かった、カヤちゃんのも後で持ってくるね。料理名、言えてないけど……」

 僕が野球の途中経過にショックを受けていると、カヤが「先に食べといていいよ、さっきお茶用意してくれたし」と労ってくれた。

「うん、ありがと。それじゃ、いただきます」

フォークとナイフを両手に持ち、僕は一口だけトーストを頬張る。

「もしかして、今日もファルコンズの試合観てる?」

「観てるよ、今は2対1で負けてるところ。今日勝てば2位が確定するから、絶対に落とせないんよ」

「それもそうだね、後ろからかなり追い上げてきてるし、プレーオフも考えると、早めに2位を確定しておきたいね」

 僕とカヤの共通の趣味は、お笑いと野球だった。野球の方は推し選手こそは違えども、二人とも瑞急ファルコンズを応援している。

 

 

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