読切「1999」(前編)


 今日は年度末、最後の金曜日。

 4月の異動や入退社に向けて、世間は慌ただしい季節になる。

 

 瑞急の車窓から見えた桜は今日も綺麗だったが、それも数日後には散っていくのだろう。

 大切な人々との別れと、新たな縁との出会い。

 そのどれもが、この季節の醍醐味である。

 

 特急電車の扉が開いたのは、瑞急明石駅。

 ポケットに入れていた切符を改札の口に食わせて、コンコースへと足を進める。

 JR線と乗り換えられる当駅の周辺は市内の中心地で、多くの路線バスがターミナルに乗り入れるなど、隣接する神戸市西区などの需要も少なくはない。

 そのうち瑞急線には東西の改札があり、西側の改札はJR線との乗換が容易で非常に栄えている。一方の東改札口は、普段は比較的閑散としていることが多い。

 しかし、最近は様相が変わりつつある。

 

 バス乗り場へと降りていく階段の隣に陣を構えるのは、コミュニティFM「FMあかし」。

 FMあかしは明石市内とその近隣自治体をエリアとするコミュニティFMで、あの地震があった次の年に開設された。

 瑞急明石駅の構内にサテライトスタジオを持っていることも特徴であり、生放送による番組収録時には大きな人だかりができることもある。

 全国ネットのテレビ番組や、比較的大きい地域をカバーする広域ラジオにはない「地域特化」という長所を擁しているコミュニティFM。災害など有事の事態が発生した際の情報伝達に強く、4年前に起きた阪神・淡路大震災を一つの契機として各地で注目されつつある。現在は全国的にコミュニティFMの開局が進み、昨年時点で合計100局以上となっている。

 

 おそらく3月が始まった頃だろう。スタジオの周辺に集まる人々が増えてきたのは。

 実は、このコミュニティFMは3月末でいったん閉局することになっている。理由の一つは財政面で、企業による広告があまりつかなかったこともその要因だと伺っている。

 とはいえ、閉局発表後の反響は凄まじく、ラストウィークと題した3月後半は様々な企画も実施。金銭的な状況も関係なく、縁のある有名人や歌手が登場したりと、充実したタイムテーブルが展開されている。

 

 お金はとても大切。

 だけど、それ以上に大切なものが何かあるとしたら……ということを深く考えさせられた。

 

 さて、僕の視界には例のサテライトスタジオが見えてきた。

 四角い箱で繰り広げられる音楽や軽快なトーク。その周りで群がる人々の方からは、タンゴ調の流行曲が聴こえてきた。

 その曲は、今年1月に教育テレビの番組で発表された「だんご三兄弟」。

 番組での反響が余りにも大きかったことから、今月にはCDまでリリースされている。

 

 曲中にFAXの束をぱらぱらと眺める、先輩ディスクジョッキー。

 このラジオ番組のタイトルは『Thank AKASHI It's Friday』。

 題の由来は英語圏のスラング的な言葉で、簡単にいえば「神様ありがとう、今日は週末だ!」の意である。

 番組の放送回数は、週1回ペースで3年間ほどなので150回以上。

 残された放送時間は、残り20分と少々だ。

 その時間にトークやCMが含まれることを考慮すれば、流せるのは今の曲を除いて2曲ほどだろうか。

 僕は、その番組のDJから「あること」を頼まれて、家を出るまでに準備を済ませたのだった。

 

 例のタンゴ調の曲が、徐々に親子連れの観覧客を呼び始めている。

 僕はその一人ひとりに会釈をしつつ、奥へと向かう。

 そして、ブース裏側の扉の前に立った後、扉を3回ノックした。

 

「FMあかし、深沢です」

「どうぞ」

 

 スタジオの中からスタッフの声がしたので、僕は扉を開けて中へと入場する。

 先客は、この番組のDJを務めてきた柏木さんと、女性ディレクターの二人。

 

「真也くん、よく来たね」

「放送前日に柏木さんから呼ばれたら行かないわけにはいけませんから……」

 

 すると、ディレクターが「もう曲終わりますから。深沢さん、スタンバイしておいてくださいね」と急かす。

 先ほどから電波に乗っているタンゴ調の曲は、3兄弟が昼寝をしている頃だった。

 

「肩の力をリラックスしてくれたらいいよ、私が何とかするから」

「有難うございます。どうにか、ついていきます!」

 

 流れていたタンゴは次第にムードを高めていきながら、華麗に締めくくられた。

 柏木さんは、前の局も含めれば20年ほどもDJをしており、FMあかし開局時からのメンバーでもある。また、ライターのようなことも副業でされており、何でもできる印象のある方だ。

 曲が終わるとすぐに、柏木さんが手元のボタンを押した。

 

「お聴きいただいたのは、現在大ヒット中の『だんご3兄弟』でした。そして、ここから番組終了までの時間は特別ゲストが来ています。それではどうぞ!」

「仕事や学校帰りの皆様、こんばんは。3月まで水曜・木曜の昼間の番組を担当しています、FMあかしのDJ、深沢真也です。尊敬する柏木さんの最後の番組に出られて光栄です。よろしくお願いします!」

 

 僕が自己紹介を終えると、柏木さんが頭の上で数回拍手をしながら、観衆たちにも促しているようだった。

 

「いえいえ、私が真也くんを呼び出したので」

「とんでもないです……」

 

 柏木さんが、僕に対して「ところで」と話を切り出す。

 やはり、先ほどの『だんご3兄弟』に絡めてだろうか。

 

「——この曲、本当に凄いよね。団子屋さんは本当に盛り上がっているだろうなあ」

「音楽って雑誌じゃないですけど、何か流行を作り出しますよね。あの曲は3兄弟ですから、元々4個入りだった団子がいつの間にか3個入りが増えましたもんね」

「そうそう。そもそも、なんで4個入りだったんだろうね」

 

 僕は「知らないですよ!」と、天井を見つつ笑う。

 

「あとね、20年くらい前だけど、『およげ!たいやきくん』の時も凄かったよ。たい焼き屋の繁盛も勿論だけど、曲の方も売上記録もどんどん打ち立てて」

「最近、『だんご3兄弟』のヒットの余波でCDが追加出荷されましたもんね。僕は、どちらの曲も歌詞がかなり好きなんです。何となくヒットの要因が納得できて」

 

 柏木さんは「それはどういう理由?」と問いかける。

 

「例えば『たいやきくん』は、会社に勤める父親が、仕事を辞めて広い世界へ駆け出したい!みたいな風にも思えるんですよ。簡単にいえば、サラリーマンの気持ちを代弁している、みたいな。今の『だんご3兄弟』だと、歌詞がそぎ落とされているので、解釈の多様さがあるように思います。なので、3兄弟の誰かに感情移入がしやすいのかもしれないですね」

「なるほど。その曲を聴いたときに、『あるある!』と少しでも思わせられたら、歌詞の一節だけでも共感してくれるはず。そのフレーズが耳に残って、頭の中で繰り返されて。そしたら、その曲が頭から離れなくなって、他の誰かに曲の存在を教えよう!ってなるよね。流行を作っていくのは結局人だから、万人に受け入れられやすい曲はヒットしやすいわけで」

 

「今だと、バンド系が最盛期を迎えていますよね。ラルクやGLAYをはじめ、ロックも活発です。そういえば、昨年の宇多田ヒカルのデビューは衝撃でしたね」

「たしかに。シングルが発売されたのは、昨年の12月。今でこそ指数関数みたいな急曲線で大ヒットになったけど、初期の頃はオリコンTOP10にも入ってなかったよね。でも、他の同僚や歌手も凄く絶賛していて、私も純粋に『逸材が現れた!』って思ってさ。私たちはラジオDJだけど、彼女みたいに素晴らしい音楽を作る方を世間に拡散できて、本当に嬉しかったんだよ。ラジオもまだまだ終わってないな、って強く感じることができて、良かったなあ」

 

「今もまだ16歳ですもんね。それなのに、あれだけ大人みたいな詞が書けるだなんて。人生2周目なんじゃないか、と錯覚してしまうくらいに恐ろしいです……勿論褒め言葉ですが。金字塔となるような記録を、次々と打ち立ててほしいですね」

 

「たしか、オリコンでは8cm盤と12cm盤を分けて集計しているはずなので、単独で勝つのは難しいかもしれないけど、合算なら良いところまで行きそうかな。仮に抜けなかったとしても、今後の楽曲で必ず記録を作ってくれそう。というか、先日発売されたファーストアルバム『First Love』もまた、異次元の売上をたたき出しているから、期待が膨らむよね。初動で200万だなんて」

 

「はい、今後の活躍も楽しみです……ところで先ほど、柏木さんが『ラジオもまだまだ終わってないな』みたいなことを仰っていましたが、やはりテレビが強いから、というのもありますよね」

「テレビか、そうやね。実際テレビは面白いし、バラエティも攻めた番組があって、こればかりは完敗。例えば『電波少年』あたりかな、私が好きなのは。予算面ではラジオは勝てないから、結局はアイデア。つまり中身で勝負をしないといけない」

 

「昔はラジオからスターがよく生まれていたんですよね。昨年の大河ドラマは『徳川慶喜』でしたけど、あの大政奉還から現在まで130年くらいですもんね。この短い期間で、文明開化や終戦、さらにはラジオやテレビといった通信面の普及。電話も持ち運べるようになって、つい先月にはiモードが開始しました」

「人類が生み出す技術の進歩は信じられないくらいに早いよね。もしかすると、近いうちに携帯電話で写真が撮れたりできるかもしれない……」

 

「それこそ、電話やメール、カメラだけじゃなくて、SF映画みたいに何でもできる腕時計が出てきたら良いですね。空中に画面がピッと浮かんで、それを触って操作したりとか」

「30分くらい昼寝したいときに、自動で電気を消してくれたりとか」

「あっ、テストの答えを全部教えてくれたり……」

「面倒な家事を全部やってくれたり」

「ロボットが歌を美しく唄ったり」

「——それどころか、私たちの番組をロボットが担当してくれるかもしれないし」

 

 思わず僕は「それはやめてください!」と笑いながら柏木さんにツッコミを入れた。

 

 

「1999」後編に続く