第１０話「神様がくれた③」　（第９話はこちら）

 

 

　深沢さんに連れられて、弓弦羽神社から東灘駅まで走った。

　歩いて行けば１０分程度であるが、確実に早いペースだった。

　白い息が視界を覆うように出ることもあった。

 

　駅の改札に着いた時、彼女が「二人だけで話せる場所は有りませんか？」と聞いてきたため、僕はカラオケ屋へ行くことを提案した。

 

　僕自身は友人とカラオケに行くことがあまり多くなかった。

　歌うためではなく、あくまでも話を聞くためである。

　

　店内に入ってすぐに受付を済ませる。

　今は火曜日の昼間で混雑が少なく、待ち時間無しに入ることができた。

 

　ソファーのような座席に荷物を置いた後、僕は質問した。

「――ドリンクバー、何入れますか」

 

　彼女は微笑しながら「飲み物って、追加でお金かかったりしませんか？」と言い返す。

 

「無料ですよ、飲み物はおかわり自由です」

「ああ、そうなんですか……それなら、温かいコーヒーをください」

「わかりました」

 

入れた飲み物は、深沢さんがホットコーヒーで、僕はミルクティーだった。

　彼女が部屋の扉を開けたままにしておいてくれたため、飲み物を容易に部屋まで運ぶことができた。

　僕はカップを卓上に置いた後、ゆっくりと扉を閉めた。

　

「先ほどはごめんなさいね、あれだけ高崎くんを走らせてしまって」

「いえいえ、僕は大丈夫です。それよりも、深沢さんの体力が心配で……」

「気にしなくても平気です。もう私は、何をしても疲れない身体になってしまったんです。そろそろ、本題に入りましょうか」

 

「……はい」

　部屋のテレビから流れていた音声がかなり大きかったため、僕はテレビの音量を最小まで下げた。

 

「単刀直入に言います。１つだけ、私は嘘を吐いていました……高崎くんは、私の年齢を覚えていますか？」

「僕の２つ上だから、２３でしたっけ」

 

「もちろん、正解です。でも、本当の年齢は４４歳です」

 

　驚いた僕は、「えっ」と思わず声を上げる。

 

「……あくまでも生きていれば、の話ですが」

　彼女はそう告げた後に視線を落として、コーヒーを一口だけ飲んだ。

 

　ソファーの扉側に座っていた僕は、扉の向こうを振り返る。

　今、何が起こっているのか、到底分からなかった。

 

「い、生きていれば、ということは、もう今は生きていないということですか……？」

「はい、そのままの意味です。さっき神社で観たでしょう、あの震災の慰霊碑を。私はあの震災で命を落としました」

 

「となると、２３歳というのは？」

「私が亡くなった時の年齢です。つまり、享年２３歳です。当時の私には、高校時代から交際していた彼氏がいました。地元の幼馴染のような関係で、1歳の子供が１人だけいました」

 

「はい」

「それでも彼氏の職業が年収面で安定しない漫画家で、『ヒット作を出すまでは、お前とは結婚しない』と宣言していました。でも結局、私が生きている間に彼はヒットを出すことは出来ませんでした。だから、彼とは結婚せず、籍も入れずにいたんです」

 

「……その彼氏さんというのは、どんな人でしたか？」

「知らないんですか、あなたのお父さんですよ。高崎有悟です」

 

「えっ……、ということは、深沢さんは僕のお母さん？」

「はい。私は深沢真子（まさこ）です。彼からは、マコと呼ばれていました」

 

　その瞬間、僕の脳裏に彼女と過ごした日々が甦る。

 

　電子レンジの使い方も知っていない。

　スマートフォンどころか、携帯電話すら持っていない。

　今時のコンビニの品揃えに感動したり。

　カラオケのドリンクバーを無料だと、知らなかったり。

　ＩＣカードだって使わない。

 

　料理が上手で、僕の好みを知っている。

　まるで、僕に関するあらゆる情報を知っているかのように。

 

　でも、ある意味で必然なのかもしれない。

　僕が１歳の時までしか見てないとはいえ、母であるのだから。

　これは紛れもない事実なのだろう。

 

　いや、もしかすると。

 

「……もしかして、僕のことをずっと見ていたりしたんですか？」

「正解です。ずっと探していましたよ、あなたを。そして、あなたのお父さんを。私はあなたたち家族に会いたかったんです。私が命を落としたのは、今日と同じ１月１７日の火曜日だった。私は出版社勤務、お父さんは底辺漫画家。共働きだった私たちは、お父さんの両親が大阪に住んでいたから、真悟をそこに預けていたの。でもあの日の朝、早出の取材が朝から入って私は家を早朝に出たの。そして、東灘駅に着くまでの道中で被災してしまったの。道路沿いの大きな建物が崩れて、その下敷きになって――」

 

　僕は開いた口が塞がらないまま、深沢さんの話を聴くことしかできなかった。

 

　正直なところ、僕は何も理解できてなかったのだろう。

　何が本当なのかどうか。

　ただ、彼女の言葉の一言一句全てに、強い決意のようなものが感じられた。

 

「命を落としてからも、私は後悔していたの。大好きな人と結婚できずに、しかも家族の将来も見ることが出来ないなんて。そして、ずっとあなたたちのことだけを考え続けた結果、なぜか毎週火曜日にだけ生き返ってしまうようになったの。もちろん、死んでしまっているから、疲れは何一つ感じないし、味覚や嗅覚だって生きていた時よりも良くないと思う。毎週、火曜日が始まったら私はあの電車の中に居るの。私の仕事場があった大阪から瑞急の最終『急行』に乗って、あなたたちの元へ会いに行くために。そして火曜日が終わると、いつの間にか真っ暗になってしまうの。何もなかったかのように、お墓の中で過ごすことしかできない」

 

「じゃあ、さっき走ったのは？」

「はい。あの慰霊碑の前で祈っていた男性。彼こそが、あなたのお父さんです」

 

「それなら、なんで逃げたんですか。せっかく、ずっと会いたかった、僕のお父さんに会うことができたのに」

 

「……でも、何故か恥ずかしいんです。私にとっても、あの人にとっても。いきなり死んだ人間が現れても受け入れてもらえるはずがないですし、何よりあの人が『ヒット作を出すまでは結婚しない』と言っているくらいだから。実際、今もヒット出せてないでしょ、お父さんは」

 

「きっと、そうだと思います。基本的に連絡をくれない人なので、僕が知らないだけかもしれませんが」

 

「はい」

 

「僕は、深沢さんを心から応援してますよ。もう死んでいるとはいえ、僕のお父さん――つまり、深沢さんの彼氏さんに会うチャンスを、神様は与えてくれたんですよ。相当凄いことじゃないですか。見たことないですよ、こんな夢みたいな話。今はまだ昼間なので、この後、夕方あたりにはお父さんが僕の家に来るかもしれないです。電話でそう言ってました、先週に。夜には関東へ帰るそうですが」

 

「わざわざ、有難うございます。でも、本当に良いんですか、私なんかが」

 

僕は大声で「はい！」と声を上げた。

ふと我に返ると、お互いの顔が涙に溢れていたことに気が付いた。

深沢さんの顔が赤くなっていた。

 

「一曲、歌いますか……？」

 

「今はいいです、コーヒーを飲みます」

 

　僕はテレビの音声を元に戻して、カップに手を伸ばした。

 

 

第１１話に続く