読切「縮尺のない地図」(前編)


 どうやら、私は晴れ女らしい。

 天が満面の笑みを浮かべている。

 雲一つない水色の空模様の下に、純白の城郭が聳え立っている。

 

 兵庫県第2の都市、姫路市。

 市内の中心であるターミナル駅から十数分ほど歩いた場所に位置するのは、まさに姫路城であった。

 国宝や重要文化財への指定、ユネスコの世界遺産への登録など、世間には観光地としても知られている。

 城の別名は白鷺城(はくろじょう)で、近隣に白鷺が多く住んでいたから、白漆喰で塗られた城壁の美しさ、黒い壁を持つ岡山城との対比、などの様々な説があるらしい。

 

「——本日は、姫路にお招きいただき、大変よろしゅうでござる」

 

 現代ではあまり話し慣れない語尾に、大手前公園に集まった観衆から爆笑が起きる。

事前に師匠から「とりあえず、『ござる』を付けたら何とかなるから」とは言われたものの、やはり慣れないものは難しい。時間をかけつつ慣らしていく他ないだろう。

 

「黒田殿にはよく痛い目に遭わされておるゆえ、今日は借りを返す良い機会じゃ。立花軍全軍の総力を挙げて、勝利を勝ち取りたいでござる」

 

 味方である立花軍の兵士からの歓声が沸き上がる中、聞き慣れない口調に観衆の微笑が混ざる。

 歓声が完全に静まりかえった頃、司会者のアナウンスが流れる。

 

「立花四段、ありがとうございました。続いて、後手の黒田八段。意気込みをお願いします」

 

「本日は晴天の姫路城に参ることができて、誠に光栄でござる。相手軍の大将は、『加古川のジャンヌ・ダルク』こと立花殿でござる。序盤、中盤、終盤、隙が無い相手でござるが、絶対に勝利を成し遂げたいでござる。いざ、尋常に勝負……でござる!」

 

 どうやら、私と同じ方からアドバイスを得ていたのだろう。

 大手前公園の聴衆だけでなく、士気を上げたい黒田軍の兵士からも笑いが起きる。

 

 人間将棋とは、甲冑を身にまとった人間が将棋駒になって、棋士が将棋の対局を行うイベントである。全体の9割以上の将棋駒を生産する地域としても有名な山形県天童市で、例年春に開かれる「桜まつり」のメインイベントとして舞鶴山の山頂広場で開催されている。

 織田信長の死後に天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が、伏見城で小姓や腰元を将棋の駒に見立てて「将棋野試合」を行った出来事がきっかけともいわれており、歴史の長さを感じるばかりである。天童市における人間将棋にプロ棋士がゲスト参加を開始したのは1970年代からで、約20年後には対局者としても参加するようになった。その後は各地でも人間将棋が実施されており、姫路市では2015年に初めて実施された。

 

「解説はお二人の師匠でもある柳川九段、そして将棋界の若きタイトルホルダー、櫨谷(はせたに)二冠です。お二人とも、宜しく頼みましたよ」

 

 二人が「お願いします」と頭を下げる。

 クールな印象を持つ櫨谷先生と、ユーモアたっぷりの柳川先生は非常に対照的な存在だが、過去にタイトル戦で数回対決経験があるなど、間違いなく今の将棋界を引っ張っている存在である。

 この当時の将棋界は竜王や名人などの7大タイトルが存在しており、タイトルを持つ棋士は段位ではなくタイトル名をつけて呼称され、中でも複数冠を保有している棋士は「〇冠」とタイトル数を表記することが多い。

 複数冠のタイトルホルダーの呼称は、厳密には色々と法則があるが、説明が難しいのでここでは割愛させていただく。

 

 それにしても、櫨谷先生は本当に私と年齢が同じ方なんだろうか。

 なかなか対局で目にかかることが無く謎めいた印象があるが、胸の奥に闘志のようなものが見える。

 5人目の「中学生棋士」として、私より先にプロデビューをされた方であり、やはり尊敬に値する。

 

「それでは、人間将棋・姫路の陣の開始じゃ!」

 

 武将に扮した司会者の掛け声の後、太鼓の音がどんどんと辺りに響き渡る。

 

「宜しくお願いまする!」

 

 例の武将口調で相手をいじり合いながら、観衆や解説の棋士らの笑い声を誘う。

 地元の高校生たちが扮する駒武者が巨大な将棋盤の上を動くたびに、太鼓の音色が耳に入ってくる。

 歩兵、桂馬、角行、飛車など、それぞれの駒の種類ごとに太鼓のテーマが異なるようだ。

 同じ師匠を持つ兄妹弟子同士の対局という、ある意味で余興的な要素を含みながらも、至って真剣勝負の対局が進行している。

 

 本局の戦型は、先手の居飛車と後手の振り飛車による対抗形。

 元々私が想定していたような展開で、序盤は膠着状態が続いた。

 中盤に相手の黒田八段からの強烈な攻撃を受けたものの、一瞬の隙を突いて反撃に出た、我が立花軍の陣営。

 人間将棋の「暗黙のルール」として、全ての駒を一回以上動かさなければならない点がある。

 特に一番端に位置する香車は動かしにくく、実際に動いたときには観衆から大歓声が湧きあがった。

 この「ルール」に双方が悩みながらも、最終的には黒田八段の王将を詰ますことができた。

 合戦で考えれば、双方陣営が攻撃による被害に遭いながら、辛くも黒田八段の王将を捕らえたという状態である。王将というラスボス的存在を討ち取ればオーケーである、という単純さが将棋を面白くさせているのかもしれない。

 

 その後、師匠の柳川九段から連絡がきたのは、人間将棋の翌朝だった。

 メールの文面には、「櫨谷くんが、立花さんとVS(ブイエス)をやりたいらしい」という旨だった。

 将棋界におけるVSとは、棋士が行う一対一の研究会のことである。

 VSの形式ではないが、私は師匠の一門の複数人の棋士で行う研究会に参加している。

 一方で、近年は将棋ソフトのレベルが飛躍的に向上しているため、研究会に参加せずにソフトと対局をして棋力を伸ばす棋士も少なくはない。

 具体的な例が、まさに櫨谷二冠だった。

 それだけに、師匠経由でVSの依頼が来た事実は驚愕であり、余りにも嬉しさに心が震えた。

 公式戦で対戦経験がない、同年代のトップランナーとの練習対局。

 文面を見た数分後には、師匠に「承諾」の旨を返信した。

 

 人間将棋からおよそ2週間後、いよいよVSを行う当日になった。

 前夜は緊張でなかなか眠れなかったが、いつの間にか意識を失っていたらしく、睡眠のコンディションはそれなりに良い状況で朝を迎えた。

 指定された待ち合わせ時間から逆算して早めにアラームをセットしたスマートフォンがぶるぶると震え始める瞬間も、しっかりと目視することができた。

 

 私は加古川生まれの加古川育ちで、大学3回生となった今でも市内の実家に暮らしている。

 加古川と聞くと、一般的にはJR加古川駅の方が知られており、同駅には最優等の「新快速」が停車するなど、姫路はもちろん神戸・大阪方面へのアクセスは良好だ。

 一方、私の最寄りは瑞急本線の尾上(おのえ)駅。加古川駅とは対照的で、普通のみが停車する。

 それどころか、瑞急の特急は西隣の高砂市駅から明石市の二見駅まで通過。見事な「加古川飛ばし」であった。

 とはいえ、姫路方面へは高砂市駅で特急に対面乗換、神戸方面は二見駅で少し待てば特急が来るので、さほど不便ではない。何より瑞急は運賃が安いため、財布にも優しいのである。

 昔はJRの明石駅に「速さはJRのあかしです」という広告があったそうだが、客は所要時間だけでなく、本数や運賃などの使いやすさ、心地良い乗車環境など様々な要因から交通手段を選択する。

 実際には、気分次第、目的地次第であろう。

 

 尾上駅へは、自宅から自転車で20分かからないほどの距離であった。

 その道中に、比較的規模の大きい寺院がある。

 私が小学生の頃、写生大会に参加したことがある鶴林寺(かくりんじ)は、師匠が数年前に将棋のタイトル戦を戦った場所でもあり、とても印象に残っている。年間を通して幅広い行事が行われているため、私は友達と一緒に参加した経験がある。

 近畿地方に数多くある聖徳太子開基伝承をもつ寺院の1つで、平安時代建築の太子堂をはじめ、多くの文化財を有していることから、「播磨の法隆寺」ともいわれている。なお、太子堂は県内に現存する建築物では最古だそうだ。他にも、泥棒が盗み出し壊そうとしたら「アイタタ」という声が聞こえてきたために、改心したと伝えられている「金銅聖観音立像」などの仏教美術が残されている。

 鶴林寺に隣接する公園には城の石垣を模した滑り台があり、何故か蒸気機関車の展示も行われている。公園に遊びに行った際に眺めることがあるが、やはり迫力は凄まじく、保存も丁寧にされているようだった。

しかし、どうして駅名標が「東加古川」なのだろう。

もしかすると、本当にあの機関車がJR神戸線を走行していたのかもしれない。

 

 瑞急・JRの鉄道2線と並行して走る、略称「明幹(めいかん)」の国道250号線を渡ると、緩やかに道路は右側へと曲がりながら南へと進む。

 周辺の道路と比べれば不規則な経路を通る道だが、この「ぐにゃぐにゃした感じ」が好きでもある。

 この道を表現するための、最適な語彙が見つからないのが、非常に残念であるが。

 

 尾上から普通に乗車し、途中の二見で梅田行きの特急に乗り換える。

 そして、西宮戎で普通に再び乗り換える。

 朝のラッシュアワーの役目を終えた特急は混雑が少し残っていたが、西宮から乗車した普通に乗車する頃には時間帯も昼間になり、余裕を持って空いた座席に座ることができた。

 

 最終的に降り立ったのは、大庄(おおしょう)駅。

 瑞急本線と宝塚線が合流する3面4線の駅で、快速と普通のみが停車する。

 2番ホームに降り立ってからエスカレーターにたどり着くまでの間、初めて下車する駅の景色に高揚したのか、時々横の方を見ながらゆっくりと歩み進めていた。

 数分後にエスカレーターを降りるときには、宝塚行きの快速列車が、向かい側の3番ホームに今にも到着しようとする様子が窺えた。

 

 地上階の改札を抜けて、時計の針は10時の数分前を指す。

 正面には、ブックカバーをかけた書籍を持っている櫨谷先生が見えた。

 恐らく徒歩圏なのだろうか、荷物は手元の書籍以外になく、普段は見かけないような軽装だった。

 

「おはようございます……いや、こんにちはでしょうか」

「こんにちは、で大丈夫ですよ。徒歩で数分なので行きましょうか、立花さん」

 

 

「縮尺のない地図」後編に続く