「深夜急行の夜」 第11話


 第11話「高崎家の食卓③」 (第10話はこちら

 

 

 16時を過ぎたあたりで、僕たちは家に帰宅した。

 手洗いうがいを済ませてソファーに座ると、視線には三番福の景品が映った。

 

「景品の鯛とかは食べましたけど、エビスビールと雪見だいふくが残ってましたよね」

「はい、この後それを食べましょう」

 

 テレビをつけてザッピングをすると、夕方のニュース番組は、以前同じ日に起こった震災関連の話題でいっぱいだった。

 深沢さんは台所で夕飯の準備をしているようで、気にはしていない様子。

 ただ、彼女のことを考えると、この映像を流して記憶を思い出させるのも苦だろうと思った。

 僕はテレビの電源を切り、徐に立ち上がった。

 

「深沢さん、何か買うべきものはありますか?」

 彼女は僕の方を見て、あははと笑っていた。

 

「それって、『はじめてのおつかい』みたいですね」

「やめてください、からかわないでください」

 

 事実、深沢さんは僕のお母さんだ。

 だけども、深沢さんという呼び方で慣れているせいなのか、お母さんとは決して言えなかった。

 恥ずかしさもあるけど、何だか申し訳ない気もする。

 

「それなら、高崎くんには一つ頼み事をしてもいいですか?」

 僕は、彼女の提案に「はい」と頷いた。

 

「東灘駅前のお店で、シュークリームを3つだけ買ってきてください。あそこのシュークリーム、とても美味しいんですよ」

 

 

 

 

 軽く身支度を済ませて、最寄りの瑞急西宮戎駅へと向かった。

 財布とICカードくらい有れば十分だろうという試算で、高架駅の改札へ向かう改札を上る。

 

 僕がポケットからICカードを取り出そうとした、ちょうどその時だった。

 改札の向こうから、見慣れた影が見えてくる。

 彼は間違いなく、昼間に弓弦羽神社で見た、あの男性。

 

「お父さん!」

 僕が手を振ると、少し俯きながら歩いていた父が反応した。

 

 改札を出た父は「よお、真悟!」と声をかけ、抱擁を交わす。

 本当に久しぶりの対面だった。

 

 僕は父が手に持っていた袋が気になったので、「これ何?」と尋ねた。

 

「これはね、改札の中にあるケーキ屋で買ったシュークリームだよ。昔は東灘駅に有ったんだけど、こっちに移転したらしくて」

 

「あっ、それ僕も買いに行こうとしてたやつ!」

 

「そうなのか、奇遇だな。やっぱり親子って似るんだわ」

「そういうのやめてよ、恥ずかしいだけだし」

 

「はいはい」

「返事は一回、って言ってなかったっけ」

 

「はいはい」

 

「この後、僕の家に来るんでしょ、お父さんは」

「ああ、そうだよ。そんなにシュークリーム食べるの、楽しみか?」

 

「うん。でも僕だけじゃないよ、楽しみにしてるのは」

 

 父は意味が分からない様子で、「そうか」と話していた。

 

 

 

 

「――ただいま、深沢さん。準備は出来ましたか?」

 そういって、僕が彼女に声をかけた。

 

「私も夕飯の準備が出来ました。もちろん、心の準備も」

 

 お互いを見ながら、「うん」と声を掛け合う。

 僕は短い廊下を通って、玄関の扉を開けた。

 

「どうぞ、お父さん」

「どうも」

 

 父が部屋に入ってくる。

 当然のように部屋に居る深沢さんを見て、彼は一度だけ目を逸らしていた。

 その後、もう一回彼女の方を見て、現実で起きていることに気づく。

 

「う、嘘だろ……マコが生きているだなんて」

 

 事実、彼女はあの震災で命を落とした。

 父から見れば、間違いなく妻という存在である。

 

「お久しぶりです、有悟さん。いや、数時間前に弓弦羽神社で見かけましたから、久しぶり、ではないかもしれませんが」

 

「えっ、本当にマコなのか」

「はい、もちろん本当ですよ。私は深沢真子です」

 

「数時間前に、というのは……?」

 

「あの慰霊碑の前で、有悟さんが居た頃でした。ずっとお墓の中で、毎年この命日にお参りしてくれているのは、見ていますから」

 

「ああ、そうか……」

 

「まあ、色々話したいことがありますので、座ってください」

 深沢さんが父にそう言うと、彼は手を洗ってテーブルの近くに座った。

 卓上には、エビスビールと雪見だいふくに加えて、深沢さんが作った肉じゃがが置かれていた。

 

「美味しそうな、肉じゃがだね」

「有難うございます。図書館でいっぱい本を見て勉強したんですよ」

 

「やっぱり努力家だな、マコは。昔は、あれだけ料理が下手くそだったのに」

 父はそう言って、深沢さんの頭を撫でた。

「真悟さんやめてください、どう反応していいか分からないです」

 

「あはは、ちゃんと感触がある。まるで生きているみたいだ」

「もう死んでいますよ、20年も前に――努力家といえば、彼。真悟のことも話してみてはどうですか」

 

「確かにそうだな。真悟が努力家なのは、マコ由来だもんなあ。絶対に、俺の性格由来ではないと断言できる」

 

 深沢さんは「たしかにそうですね」と返す。

 父は「おい」とツッコミを入れた。

 

「電話でも話したけど、お前はすげえよ。好きなことをあれだけやって、ちゃんと結果出すんだから。福男の三番福が息子に居るなんて、普通に自慢できるレベルだよ」

 

「いやいや、それは深沢さんが毎週料理を作って体調を管理してくれたからだよ。だから本当に、頭が下がらないんだ」

 

「本当か、マコ。教えてくれよ」

 父はエビスビールの1缶目を開けた。

 

 深沢さんは、20年間にわたって乗車していた「深夜急行」の話をした。

 

 月曜日が終わり、火曜日になってすぐの時間帯に、瑞急の車両の中で目を覚ますこと。

 死んだときの年齢の姿のまま、火曜日だけ生き返ってしまうこと。

 ある日に僕と遭遇して、親しくなったこと。

 それから、毎週のようにご飯を作ったこと。

 

 料理は苦手だったから、図書館に行って本を読んだこと。

 死んだ後だから、味覚が残っていなくて、味見がしづらかったことも。

 

 昆陽池や伊丹などの瑞急沿線で小旅行をしたこと。

 冬物の衣服を息子に買ってもらったことを、自慢気に語ったり。

 飛行機が飛び交う綺麗な夜景を、一緒に眺めたり。

 

 福男になってくれたら、父が来てくれるんじゃないか、と思っていたことも。

 

 2缶目のビールを父が飲み干した辺りで、僕はシュークリームの存在を思い出した。

「これ、お父さんが買ってくれたんだよね」

 

「……ああ。マコが喜んでくれるかな、って思ってさ。俺らでよく食べたよね、東灘の駅前の」

 

「チリエージョですね、今日東灘に行ったときに店が無くて、困ったんです」

「西宮戎へ移転したんだよ、十年前に。東灘駅が高架化された工事が始まった時くらいだったかな」

 

「チリエージョって、尼崎のサッカーチームにもついている名前だけど、どんな意味?」

 

 僕が気になったことを質問すると、父がこう答えた。

「何処かの国の言葉で『桜の木』だよ、この辺は桜の名所が多いからさ」

 

「へえ、確かに家の近くの夙川(しゅくがわ)公園も、春はすごく桜が綺麗だもんね」

「たしかに、昔からあそこは変わりませんもんね」

 

「本当だね……ところで1つずつ食べるかい? サクラシュークリーム」

 父の言葉に、僕と深沢さんは「はい」と喜んで乗った。

 

 普通のシュークリームの生地の中に、イチゴ味のクリームが入っている仕様。

 生地がサクサク、クリームがとても濃厚な感じだった。

 

「――お父さん、これ美味しい!」

 僕は心の底から、その美味しさを満喫していた。

 

「そうかそうか、それは良かった。マコ、お味はどうだい?」

 父はそう言って深沢さんの方を見ると、彼女が涙ぐみながらシュークリームを召し上がっているようだった。

 

「私は死んでいるので、味がしないんです。でも、何故だか涙が溢れてくるんです」

「やっぱり、美味しいものを食べたら反応するんだよ。体は正直なんだ、いつだって」

 

「はい、めちゃくちゃ美味しいです」

 深沢さんは、最大限の笑顔でそう答えた。

 

 

 シュークリームの箱を片付けた後は、深沢さんが作ってくれた肉じゃがを食べつつ、家族での会話が進んでいた。

 父は、僕たちに向けて、数年間の日々を話し出した。

 

 元々作家志望だった彼は、仕事場の拠点を構えるために、東京へと単独で移住した。

 作家という職業が収入面で安定しないからか、ヒット作を出すまでは僕に秘密にしていたのだという。

 実際、今もヒット作が出せずにいるらしい。

 そのため、漫画のアシスタント業や、他のアルバイト等をしながら、僕の学費を支払っていたそうだ。

 

 夜の7時頃に、父は僕の家を発った。

 東京へ帰って、明日以降の仕事に備えるのだという。

 

 酒が入っていたため、深沢さんが「駅まで送ってあげましょう」と心配したため、僕が西宮戎駅までおんぶしつつ、二人で父を見送ることにした。

 

「――今日は有難うね」

「ちゃんと、東京まで帰ってくださいね。有悟さんが気になって、夜も眠れません」

 

 僕と深沢さんは手を振って、彼を送り出そうとする。

「こちらこそ有難う、また仕事も頑張らなきゃ」

 

「そういえば隣が空いてるから、大家さんに頼んでそこへ泊って行かない? アパートの僕の隣の部屋に」

「いや、やめとくよ。何だか恥ずかしいから。それに、仕事場に迷惑かかるし」

 

「……そうだ、皆で写真を撮りませんか。僕は写真を撮ることが好きなんです」

 僕の提案に、両親は快諾した。

 

「家族写真みたいだ」

「今時の電話は、何でも出来るんですね。凄いです」

 

 僕のスマートフォンの画面の中には、僕を挟むように両親が笑顔で映っていた。

 この瞬間を、僕は二度と忘れることはないだろう。

 スマートフォンの発光が、僕らを包みこむ。

 

「はい、チーズ」

 

 

 

 

 あの日を最後に、彼女は僕の前から姿を消した。

 

 恋人ができた現在でも、僕はこの写真を待ち受け写真から変更していない。

 画面の中でなら、いつだって会える気がするからだ。

 

 どんなに遠く、離れていたって。

 僕たち、高崎家は永遠だ。

 

 

第12話(最終回)に続く