寝室の目覚まし時計が何度か鳴り、台所では瑞々しい野菜を切る音が聴こえてくる。
食欲がふわふわと湧いてくるような香りに誘われて、慌ただしい一日が幕を開けた。
水色の空の下で生まれた娘は、まもなく4歳を迎える。
最寄りの市立幼稚園は3歳児から保育が行われており、夫婦で身支度や家事を済ませて、交代で登園の送迎を行っていた。
「忘れ物は有りませんか?」
「ありません!」
「今日も元気に……行ってらっしゃい!」
「ママ、いってきます!」
娘は、朝のテレビやラジオ番組で流れていた定型句のやりとりがどうやら好きらしく、両親揃って真似をさせられていたりもする。
僕自身も、色々な人の真似をして育ってきたんだろうな、と感じることもある。
「海斗さん、今日のお茶ね。後は宜しく!」
小さいサイズのペットボトルを妻から受け取る。
「ありがとな」
中身は、朝に沸かしたばかりの緑茶だ。2月も終盤に差し掛かってきたが、比較的寒い気候が続いているためか、暖かめのものを用意する形になっている。
「今日はパパの日?」
「そうだよ。ナギが早く支度したから、今日はのんびり行こうか」
娘は「うん!」と頷き、玄関で見送る美南に手を振っていた。
僕が同じように手を振ると、妻は軽く手を挙げて、寒そうにしながら部屋へと戻っていった。
保育園への道中にかかるのは赤根川と呼ばれる、小さな河川だった。
北から順に瑞急線、「旧浜国道」や「浜国道」とも呼ばれる県道718号線が川を渡り、中筋橋、行基橋、学校橋と順に海側へと進み、江井島漁港付近で海側へと水が流れていく。したがって、最寄りの地域は赤根川下流にあたる。
通園路の最寄りは行基橋で、川沿いに県道側に進んでいけば、小学校と隣接した位置に幼稚園がある。
家を出てすぐの角に見える「少年自然の家」は、瀬戸内海が見える高台にあり、カヤックやカヌーなどの体験や、スポーツ・キャンプなど幅広いアクティビティが体験できる施設だ。これも市立の施設で、家族3人で以前に何度か訪れたことがあり、近所ながら宿泊を行うこともできた。
施設の老朽化や利用低迷に伴い、宿泊棟は数年前に廃止され、現在は日帰り利用のみを受け入れている。
「自然の家、ナギも小さい時に行ったねえ」
「いったねえ」
隙あらば、真似を入れてくる。我ながら、面白い娘だ。
恐らく、性格面は母親似に違いない。
自分たちよりも落ち着いた大人になってほしい、と思いを込めて、美南と一緒に名前を考えたことを、今でもよく覚えている。
僕が「今日はこっちから行くよ」と左側を指差すと、予想通り「いくよ」と返してきた。
ふふふ、罠にかかったな。
真似をするということは、すぐに賛同してくれるということなのだ。
今日は雲一つない晴れ模様。
朝のスタートが気持ちよく迎えられるように、海側の景色を眺めたい。
五段ほどの護岸ブロックが見えてくると、いよいよ赤根川だ。
突き当たりで右に曲がり、緩やかな段差を上がっていくと、川沿いの道に合流する。
この交差点付近に架かるコンクリート橋は「学校橋」と呼ばれている。
近所の方によれば、当時の寺子屋への通学ができるよう、明治初期に村人がお金を出し合って架けたとのことだった。
隣県の倉敷美観地区のような柳並木や蔵屋敷こそはないが、何となく雰囲気が好みな風景でもある。
左側に連なる墓地の横を、娘とだらだらと話しながら海側へ進み、一本の道路と交差する。
両方向一車線ずつに、上流側のみに歩道を有する、小さな道路だった。
ぽつぽつと自動車や自転車が過ぎ去っていく。
万が一、娘が道路に飛び出すことがあってはならないので、手をしっかりと握っている。
「パパ、公園いきたい」
娘が近くの公園の方を指差して、主張を始めた。
子供向けの遊具のあるエリアと、ボール遊びや鬼ごっこなどができる、やや大きめの公園だ。
ふと僕は、腕時計の文字盤を確認した。
公園までの往復を考えると、幼稚園にはギリギリの到着になってしまう。
好奇心が旺盛な彼女は、きっと、何らかの遊具で遊ぶだろうから、すぐに公園を出ることができずに遅刻してしまうだろう。
「また明日ね」
「ちぇっ……じゃあ、あっち、いきたい」
橋の上の歩道で娘が指差したのは、赤根川の向こうにある播磨灘だった。
「もしかして、あの大きな島?」
淡路島があると思われる方向を指差す。
とはいえ、江井島漁港付近の護岸ブロックや建物があるため、実際には淡路島を見ることができないことを失念していたが。
数秒後、僕は「パパ、島ないよ」と、誤情報をしっかり指摘された。
「本当だね、見えないね……ということは、まさか、海?」
娘は、手を広げて大の字を作り、その場でジャンプしながら「うみー!」と声を上げた。
ジャンプに合わせて、僕の右手も揺らされる。
「いいね、休みの日にママも連れて一緒に行こう」
「電車がいい」
「えっ?」
「ナギは電車がいいなあ」
近所には、過去に海水浴場が開かれていた海岸があり、少しだけ東へ足を伸ばせば、藤江海岸や林崎・松江海岸が連なっていた。
明石市の西部はこういった海岸が多く、浜の散歩道と呼ばれる散歩道コースが整備されている。
全長7kmにわたるコースは平坦で、公衆トイレや施設が揃っていることから、サイクリングロードとしても知られているそうだ。
こういった背景もあり、僕たち辰巳家3人が海に行くなら、自転車で事足りることが多い。
「分かった分かった……ええよ」
「やったー!!」
娘のジャンプに合わせて、再度右手が揺らされる。
この時にちりんちりん、と目の前を通り過ぎた自転車の方に、小声で「すみません」と言って頭を下げた。
「でも、今は寒いから、暖かくなってからにしようか」
「ええ……」
「風邪引いちゃうよ?」
「だめ、ひいちゃうね……」
近所の小学校では、インフルエンザで学級閉鎖が出たこともあり、日頃から念入りに対策をさせていた。
元々、冬は風邪に気をつけないといけない時期ではあるのだが。
父親による真似作戦は見事、成功となった。
「よろしい。じゃあ、ナギは絵を描くの好きやから、海に行く電車の絵を描いてよ」
「いいよ、ナギにまかせといて。みずいろの電車、描くからね」
「素敵な絵、期待してるよ。よし、そろそろ学校に行こう」
「いこー!」
河口へ注ぐ水の流れとは逆の方向に向かって、親子は赤根川沿いを歩き始めた。
娘の登園は、目安時刻の5分ほど前に完了した。
赤根川の水の流れに向かって、下流にある自宅へと進む。
ほんの少しだけ飲みやすい温かさになったお茶を、口元にゆっくりと注いだ。
近所は道が入り組んでいるため、経由する橋や交差点を変えて遠回りをしたくなるときもある。
しかし、本日の帰路は、行基橋を渡り、少年自然の家の前を通る近道ルートだ。
仕事に行く準備を始めなければならない。
何しろ、今日は大事な予定が入っているのだから。
「美南、ただいま」
「おかえり、海斗さん」
リビングに散らばっていた娘のクッションが、ソファーの上に丁寧に並べられている。
きっと、掃除機をかけ終えたのだろう。
「コーヒー淹れといたから、一服しましょう。保育園は大丈夫そうだった?」
「今のところ、インフルは大丈夫そう。保護者さん曰く、隣の小学校の学級閉鎖がまた増えたらしいわ」
僕は上着をハンガーに吊るし、洗面所で手洗いとうがいを済ませた。
「大変やね、先生方は」
「確かに」
「まあ、座りい。ところで、受け持っているクラスが学級閉鎖になったら、担任の先生は何するん?」
順序良く、コーヒーをポットから注いでいく妻。
「僕が先生をしていたときに、何回もそういうことがあったけど、やること自体は多かったと思う」
妻は「はい」と言って、七分目まで注がれたコーヒーカップを、こぼさないよう慎重に渡した。
「ありがとう」
「……例えば?」
「他のクラスの授業を手伝ったり、溜まっていた丸付けを進めたり、教室の掃除もするし、欠席しているお子さんにも連絡を取らないとやし。何より、授業が休みになった分、授業計画を変えないといけないから、実は結構大変やった……あっ、いただきます」
「どうぞ」
口に含ませたときの味の広がりや、喉越しの爽やかさ。
淹れたてのコーヒーは、心から身体を温めてくれるようで、心地が良い。
「もともと大変そうだったもんね、先生は。海斗さんは、そんな風には見えていなかったけど」
「弱さを見せないように頑張るんだよ、プロってものは」
僕が高校教諭を退職した契機は、第一子である娘の誕生に伴う育児休暇だった。
新卒から10年と少しの間、3校ほどを転々としながら教鞭を執っていた。
主な指導科目は、現代文。
教え子の生徒や後輩教諭などの成長や成功体験に携わることができる、とてもやりがいに満ち溢れた仕事だったと思う。
転機は、後に妻となる美南との交際を始めた頃。
彼女から紹介されたのは、とある学習系の動画を作るインフルエンサーだった。
当然、クリエイター自身を紹介されたわけでなく、「この動画面白いよ」という形で何本か動画を勧められた。
彼も高校数学の元教諭で、主に中学・高校の数学や理科の解説動画を週3回ほどのペースで、動画サイトに公開していた。
文系人間の僕にとって、数学や理科は「知らない教科」に等しかった。
メリハリの効いた緩急のある話術、時事ネタも含む分かりやすい例の示し方、そして指導の上では大前提となる豊富な知識量。
現役教員だった僕も思わず唸る、ハイレベルな授業。
気が付けば、彼の動画の視聴頻度は、美南をも上回るようになった。
視聴した動画の良い部分を参考にしながら、教育の現場で過ごす日々が続いた。
次の転機は、結婚後に訪れる。
第一子誕生のタイミングで取得した育児休暇の際に、改めて人生設計を見つめ直すことにした。
幼い頃からの夢だった、教員。
どうせならば、自分の思いに真っすぐに向きあい、「教える」という行為に対して成長し続けたい。
やはり、誰かのために生きたい、という思いも強かった。
されど、守るべき家族ができたことで、迷いが生じることになる。
給料や立場の安定性はあるものの、家族との時間をある程度犠牲にする必要があった。
仕事は少しずつ難しく複雑になっていくが、基本的には毎年同じことを繰り返す。
一度環境を変えて「外の世界」に出てみたいと妻に相談し、快く背中を教えてくれた。
転職先の塾講師や、ボランティアで参加した地域活動などを経験しながら、外の世界の日々を過ごす。
学校現場では気付くことができなかった、様々な考え方を得ることができた。
妻とは異なり、夜型の生活を送っていたことから、家事や育児も積極的に分担。
合間には、動画編集の仕方や広報的なノウハウなどの勉強も懸命に取り組んでいる。
慣れない生活に苦しむことも少なくなかったが、家族で支え合いながら過ごす日々は充実している。
「良いね、格好良い」
「美南さんもまた、プロやもんね。別の道やけど」
「絵を描くことなら任せなさい!」
自慢げに笑う妻は、学生時代から絵を描くことが好きだったそうだ。
好きな人物の絵や、好きな風景を切り取った絵。
2つの眼で捉えた現実を、ありのままにノートに記録していた。
放課後の部室で友人と雑談しながら描き、嫌いな先生の授業中には上手く隠れるように描く。
因みに、今風の言い方なのかは分からないが、彼女は「オタク女子」でもある。
好きなアニメや漫画の話で、友人と熱く語り合うこともあったが、二次創作のような創作物語は描いたことが無いらしい。
現在は、風景画を描くアーティストとしても頭角を現し始めている。
きっと数年後には、本当の意味でのプロになって、もっと多くの人々が彼女の絵を観ることになるはずだ。
「せやね。ナギの絵が上手なのも、お母さんからの遺伝やね」
「落ち着いた子になってほしい、みたいなことを願って名前をつけたけど、今のところは元気で活発。でも、何だか嬉しいね」
「確かに。普通にすくすく育つというのも、奇跡みたいなものやと思うなあ」
美南は、娘に絵の長所を引き継ごうとしている。
将来の数十年で、僕は彼女にいったい何を残せるだろうか。